死と聞くと思い出すことがあります
それはインドのバラナシ
そこはインド旅行の
ハイライトといえるような場所で
人々は信心深く生き
自分たちの文化に忠実で
インドの縮図のようなところなのです
いわゆるガンジス川の沐浴も
たいていはここを指します
実際はインド中でやっていますが
人々は雑菌やバクテリアだらけと
思われる淀んだ河に入り
身体を清め口をゆすぎ
今日に感謝し神に祈るのです
我々旅行者が見ていても
全く気にすることもなく
身を清めていきます
そんな光景を毎日見る事ができます
そこはなぜ死を考える所なのか
それは死期が近い老人がそこに集まり
そこで死を待つ場所なのです
そして死が訪れたら公開火葬されます
みんなが見ている前で焼かれるのです
結果有名な観光地になっています
そこは写真や撮影は禁止なので
あまり映像には残りませんが
原始的な薪で燃やすので
相当に時間がかかります
我々にはかなりのインパクトがあります
そこで老人たちが死を待つ家があり
そこに行ってみました
老人とその世話をするボランティア
様々な人が見られました
老人たちはやせ細っているが
自分でできることはやっているようでした
短い人は数週、長い人だと数年いるらしい
死期が来るとしばらく寝込み
枯れ枝が尽き果てるように死ぬらしい
そこには日常的に死がそこにあったのです
現在の日本では
死がとても遠いので
死が身近であることが不思議でした
そして死が訪れると若い衆がそれを包み
川の畔の焼き場に6人位で持ち上げて
何かを叫びながら運んでいました
そして焼かれていくのです
普通に日常的に行われていました
この町では死を考えずにはいられませんね
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島)です
今日は 死について考える について
私は子供の頃から死を考えていました
そのことを話すとたまにごく少数
自分もそうだったという人に出会います
そもそも生きているってなんだろうと
思っていたので
逆に死んだらどうなるのか
ずっと興味があったのです
生まれる時パッと意識が出て
死んだらパッと消えて終わりなのか
それとも
どこかから来て身体に入り
死んだら出てそこへ戻るのか
これは人間にはわからないことですので
現代の科学に従えば
前者ということになります
普通はそう考えると思いますが
そうじゃない気がしたのですね
そうじゃないほうが面白いといいますか
それで小学校の頃から
生きるとか死ぬとかの本を
かなり読んできたのです
変な小学生ですね
一応普通にしようと思い
トムソーヤーとか
普通の本もポーズで読みました(笑)
バラナシでみた老人たちは
死期を感じて
来世の生まれ変わりのために
バラナシでの死を選び
最後をそこで過ごします
それが夢でもあるらしい
昼は道端に佇み
人と話をして
水を飲み
散歩して昼寝して
その時を待つのです
無理に栄養を与えたりもしないので
死ぬときも日本のように
お金もかかりません
身体機能が落ちてそのまま死んでいきます
なんだかその姿は感動的でもあったのです
自然とはこういうことなのかと思います
私も今も死について考えますが
バラナシでみた老人たちがダブるのです
死ぬことを考えると
それは同時にどう生きるかに
つながります
どう生きたかの延長に
死がありますから
どう生きてどう死ぬか
考えてみることもいいかもです
忙しくてそんな余裕はない、も
あるとは思いますが
生きるのは辛く大変で
でも興味深くおもしろいですね
今日も頑張りましょう
くわしくはげんきくんまで