気づいていないんです
それが思い込みであることを
ただの思いこみで
実際は違うことでも
もうそう信じて疑わないから
他を受け入れない
一度それで記憶すると
もう固く固定されてしまって
不合理なことを淡々と
続けている
多分殆どの人にあります
もちろん私もひどかった
むしろ世界中を振り返ると
思い込みだらけですね
迷信ともいいます
その迷信によって
多くの人が不幸になって
悲しい思いをしてきたのです
今現在も我々が信じていることの
8割は迷信かもしれません
気づいていないだけかもしれません
どうせなら人が幸せになる方向の思い込みならいいですが
実際はほとんどは差別や誹謗中傷など悪いものです
自分が優位に立つために意図的にやったりとか
心優しい人ほど
ターゲットになりやすいのですね
どんなに正しいことをしていても
大勢の反論によって
潰されてしまいます
どうやら人の歴史とは
そういうことの繰り返しのようです
自分の身を守るためには
やむを得ないことなのでしょう
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島出身)です
今日は 思い込みに縛られる について
小さな思い込み
変なこだわり
ゆずれないこと
みんな多少は持っていますが
問題はそれが独善的になっていないか
人の迷惑になっていないか
ということでしょうか
意味不明なこだわりは
たいてい周りに迷惑をかけます
周りが迷惑するのですね
以前自動車免許の教官の方で
こだわりで法定速度より10km下で走る
という方がいましたが
ちょっと意味不明でした
食事の前に15分お祈りをするという方
素晴らしいことですが
毎日は大変ですね
古い考え方に異常にこだわっていたり
自分の出身地の風習をいつまでも続けたり
食事のとり方や
朝起きたときのルーティンとか
いろんなことがありますが
やはり問題は
周りの人です
ご本人はもちろん納得してやっているので
いいのですが
こういうものは大抵
周りの方はほとほと困っている
私などは困っている側のご意見を聞くことが多い
かなり疲弊している方もいます
どんな素晴らしいことも
時と場合によって柔軟性を持つことも
大事と思いますね
みんなが同じ考えではないですので
受け入れる体制ですね
困っている方は
このことを口を揃えて言います
頑固すぎて困っています!と
ああ、またここでも
小さな摩擦が起きている
と思います
でもこの小さな摩擦が
ときとともに大きくなっていくのです
何を見ても嫌、になってしまいます
こだわるべきか
こだわらざるべきか
難しいところですね(笑)
くわしくはげんきくんまで