気になりますか?
みんなどうしているのか
自分だけが変じゃないのか
おいて行かれているんじゃないか
自分だけバカにされていないか
やっぱり気になりますよね
不安にもなります
人はみんなと同じであることで安心し
集団のなかにいることで安定します
でも同時にそれは
永遠に他人主導で生きること
にもなってしまうのです
自分がそうしたいでなく
みんなと一緒であることが
行動の基準になってしまいますから
しかし
人間は集団でしか生きられませんし
環境に左右される生き物です
そんな中で自分基準で生きるなんて
そもそも矛盾しているともいえます
自分のやりたいやり方なんて
ごく一部の恵まれた人だけのものでしょうか
そしてそれをやっている風に見える人を見て
羨ましく思う
これも当然です
人はみな選択の連続で
迷いの中で生きてるといえます
これでよかったのか?
この問いは多分、永遠に続きます
失敗したのではないか?
この問いも抜けることはないでしょう
でもみんな似たようなものです
そんなものです
でもみな例外なく
10年前より賢くなっていますから
それでイイんじゃないでしょうか
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島出身)です
今日は なぜ隣の芝生は青いのか について
何故かうまくいっている人って
気になりますね
自分がうまくいっていないと
特に感じます
複雑な感情も出てきます
このときにどんな感情を持つべきか
嫉妬だと苦しいです
でも羨望だと苦しくないのです
嫉妬は自己卑下を生み
どんどん気持ちが沈んで
しまいには攻撃的になります
妬みですね
羨望は自分の未来と重ねますから
希望が生まれるのです
自分もああなりたい、と思う
どうすればああなれるのか、と
人は常に何か足りない
すべてを満たした人なんていませんから
それは当然のこと
でもいつでも足りない部分に目が行きます
持っているものは当然
あれが足りない、これが足りないと
殆どのものを手にしながらそう思います
どこに視点を置くか、ですね
足りないものをどう見るかで
感情は180度変わります
隣の芝生がたゆまぬ努力の末に
やっと手にしたもので
それでも明日のことはわからないのに
いまその場の感情だけで
自分と比較して
疎ましく思ってしまう
これは攻撃の感情しか生みません
しまいには自分を攻撃してしまう
目に見えない部分
うまくいっている人がしてきたであろう
苦労や努力、節制や我慢のことを思うと
それは羨望に変わります
自分もやらなくては、と
どんな結果も
多くの犠牲の上に成り立っています
多分、想像もできないほどの犠牲
何かを失った結果
何かを得た
他人からはうかがい知ることも出来ない
気をつけたいことは
いつでもそうですが
個々にズームアップしてしまうこと
近くから見ると全体像が見えません
離れて全体像を見る
その上でズームアップですね
何と何がどうバランスしているか
それは離れないと見えません
全体像を見ることで
いろんなことが分かってきます
うまくいかない時は必ず
近くから見てしまいます
だから常に大きく見る癖をつける
引いて見れると冷静になります
視点を変える
大きく見る
解釈を変える
まずは持っているものから
これだけで
大きく変わります
楽になります
心がけたいです
くわしくはげんきくんまで