あなた素晴らしいですね
いえいえ、そんなことありません
私などまだまだです
うわ、ありがとう
助かりました
いえいえ、当然のことをしたまでです
大したことではありません
なんて会話、、
日本では日常的ですね
褒められ下手で
素直に感謝を受け取れない
そもそも感謝も
お世辞かもしれませんが(笑)
感謝されてそれを素直に受け取るのは
はしたない感じがする
してはいけないこと、という感覚があります
謙遜という美しい日本文化です
考えてみると
この謙遜文化
例えば鹿児島の象徴、西郷さん
西郷さんは偉くなり讃えられても
けっして偉ぶることなく
皆に平等に接し
つねに初心を忘れることはなかった
このような場合に使うべきものかと
思ったのです
大人物が偉くなっても
決してそれを鼻にかけるべきではない
のような場合に謙遜を使うべきではないか
と思ったのですね
一般の人がやたらと謙遜するのは
いかがなものか
もっと素直に言葉を受け取るべきでは
ということですね
ちょっとしたいいところを見つけて褒める
でも謙遜する
それだとせっかくのいい言葉を
否定で返しているようになってしまいます
謙遜自体は素晴らしい思想です
でも使い方はちょと違う気がするのです
一般の人は余り使うべきではないのでは?
それには理由がります
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島出身)です
今日は 謙遜はほどほどに について
外国に行くと
謙遜なんて美しい文化はありません
特にインド
大したことないのに
とても大きく言うので
すべて話半分で聞きます(笑)
タクシーとかでも
俺の車はすごいぞ、高級車だ
と言うので行ってみると
まあ、ボロボロです
ホテルの部屋も
きれいな部屋があと一室だけある
と言うので行ってみると
汚い部屋がいくつもあいている
こんなところです
それが面白いんですが(笑)
まあ良く言えばハートが強い
我々日本人にはムリですね
日本人はよく自己否定が強いとか
満足度が低いとか言いますが
これは根底に謙遜の精神があるのでは?
と思うのですね
自分を否定し低く低く言う
その精神が染み付いているのでは
ということです
言葉って素直に脳に届きます
自分が発した言葉も
自分の考え方を作っていきます
私など全然大したことないです
が染み付いていくのですね
やはり一般の人が頻繁に使うべきではない
確固たる自分を確立してから
使うべき究極の言葉です
それが正しい謙遜の使い方なはず
だから普通の人は
褒められたら素直に感謝すればいい
ありがとうございます
と言えばいいんです
ありがとうございます
また頑張ります
と言えば言った方も気持ちがいい
謙遜は大人物になってから使いましょう
私などまだまだ謙遜は出来ません
あれ、これは謙遜なのか
自己否定なのか
よく分かりませんが
今日はここまで(笑)
くわしくはげんきくんまで