根本的な問題です
あなたはなぜそれをするんですか?
あなたが日々やっている
様々な行動や習慣
その行動の意味を
考えてみませんか
なぜ学校に行きますか
なぜ勉強しますか
なぜ働きますか
なぜ生きますか
殆どの場合
深く考えていません
あえて言えば
みんなそうしているから
でもそれでいいでしょうか
周りに流されていると
迷った時、道が見えなくなります
急に全てを見失い
怖くなり何もできなくなるのです
気づいたら
いつの間にか走っていて
ふと走るのをやめた時
なんで今まで走っていたんだろうと思う
何のために走っていたんだろうと思う
走らなくてはいけないのかと思う
生きていれば
そんなときが一度や二度
あるんではないでしょうか
でも
走る意味を理解していれば
どこへ向かうのか分かっていれば
自分の意志で走っていれば
そもそも
走るも止まるも自由です
現代社会は
全てシステム化されているので
すべての人が個性など無視で
同じ教育を受けますね
親にせめて高校までは行けと言われ
就職のためには大学も行くべきと考える
いつの間にかベルトコンベアです
日本社会は特に こうあるべし
という考えが強いので
ギスギスしています
なぜでしょうかね
いろんななぜが湧き出てきます
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島出身)です
今日は 「なぜ」を考えてみる について
私は子供の頃から
なんでそうなのか について
いつも考えていたのです
それについて親から
それなりに理解できる答を
もらいましたが
でも納得はしていなかった
簡単に言うと
人から言われてやるのが嫌い
だったんです
心の底から納得したことなら
話は別ですが
疑問があるといやでした
受験勉強とかバカバカしかったし
大学なんて意味のないところだったし
意欲のわかない仕事も嫌だった
納得し理解し
やる気に満ちた事だけを
やりたかった
そのために なぜ生きるか なんて事
考えていたのです
そんなこと考える必要はない
という人もいますが
私には必要でした
本質である「なぜ」を考えることで
すべてが大きく見える気がした
事の全貌が見える気がしたのです
逆にそれがわからなければ
迷ってばかりだと思った
実際、迷ってばかりでした
まだわからないことは多いですが
見えてきたこともあります
解釈はひとそれぞれでしょう
でも自分なりの納得は必要です
自分が人生の主人公ですから
言われたことをやるだけでは
納得出来ないのです
目先の方法論でなく
なぜそれをやるのか?
なぜ必要なのか?
そこを理解したいですね
くわしくはげんきくんまで