日本は先の戦争を敗戦で終えました
そのことは大きく大きく
国の構造に影響をしています
我々の心の中にも
強い影響がありますね
8月の時期になると
反戦の番組や記事等が
様々なところに出てきます
それらの意図は
戦争をしてはいけないということ
平和であらねばならないということ
過ちを繰り返してはいけないということ
などです
戦争をしたい人など
ごく一部を除きいませんので
間違いないことです
西洋諸国が圧力をかけてくるという
歴史的事実はあったにせよ
日本は戦争をしました
それはいずれにせよ
加害者であったということです
被害者でもありましたが
加害者でした
そのことは
さまざまな戦争の報道や記事に
あまり出てきませんね
すべて一国民目線の
いつの間にか戦争が始まった
というものに終止します
それでも
実際東南アジア諸国に行ってみると
日本は好意的に受け入れられています
その懐の深さと
日本が戦後やってきたことを
思わずにはいられません
でも日本はあくまでも加害者であった
そのことは私も実際東南アジアに行って
どうしても感じてしまったのです
被害者と加害者
これは意外と紙一重で
入り組んでいたりしますね
みんな自分は被害者だと
思いたいのです
こんにちは
越谷のツボ職人 北村(鹿児島出身)です
今日は 加害者と被害者 について
追突事故やとばっちり被害などだと
はっきりと加害者と被害者が別れますが
実生活などにおいて
揉め事が起きたりしても
あまり加害者と被害者は
はっきり別れません
さまざまな事情が入り組んでいるので
多くが自分は被害者と思っています
それぞれにそれぞれの言い分があり
なるほどという理由がありますね
こういうところが
揉め事は難しい
多分ほんのちょっとの優しさがあれば
ほんのちょっとの加害者意識があれば
ことは最小限で収まります
でもその範囲を超えてしまうと
もう簡単には収まらない
被害者意識を双方が持ってしまいます
感情はとても難しく
簡単な解決策などはないですが
日本の戦争との向き合い方に
人の感情の難しさを
感じるのですね
自分は被害者である
そう思うともう
一歩も引けなくなります
自分自身との向き合い方においても
被害者意識の持ちすぎは
気をつけたほうがいいですね
自分自身の意識の中において
自分も加害者かもしれない
という意識は
忘れてはいけないと思います
加害者と被害者は紙一重ですから
人はみな被害者になりたがります
自分の中で落ち度はなかったか
そこを無視したらただ被害者になります
そうなると自分を変えていくことは出来ません
全てあいつが悪い
になってしまいます
実生活において
片方だけが一方的に悪いということは
少ないですね
とは言え自分の落ち度を認めることは
とても難しい
立場的な問題もあります
戦争の話を思い出すと
そのことをいつも思うのですね
解決策、なんて時間が経つのを待つしか
ないかもしれませんね
くわしくはげんきくんまで