13世紀頃のローマ皇帝フリードリヒ2世は赤ちゃんに実験をしたそうです
それは全く教育も愛情も受けず栄養だけを与えた赤ちゃんはどんな言葉を話すのか
というもの
今ではありえない実験ですが実験ですべての赤ちゃんが亡くなったとか
当時は人権などもなかったにしてもすごい実験です
しかしこのことから分かったこともあり
人は相互に愛情を与えあって生きるという事
これはたとえ大人になっても同様で
「承認欲求」ということになるのかもしれません
人は有形、無形の周りからの「感情」を受けているのですね
子供の頃、好きな子にわざと意地悪するなんてのがありましたが
(大人になってもある?)
要は相手の注意を引いて関心を得たいということですよね
多くの人が経験あると思います
もしも思ったほどの愛情を得られないとき
子供ならば騒いだり声を出したりできますが
大人になってしまうとどうでしょうか
大人はこうでなくてはならないという強迫観念が強すぎて
多くの日本人はそのストレスを奥ヘ奥へ追いやってしまいますね
そんな感情の扱い方などとても難しく
誰もがうまく出来るわけではないです
それは赤ちゃんだと死んでしまうほどのストレスです
放おっておいていいはずはない
大人だって同じです
動物とか、特に犬なんてわかりやすくて
嬉しいと生き生きとしてしっぽを振ります
しかし悲しいと見るからに落ち込んでいますね
あんなに感情をぶちまけることができたら我々もどんなにいいでしょうか
ちなみに犬に強い感情があることはみな知っていますが
カメにもあるんですよ
一般的にはカメが感情を出すとは思われていませんが
カメに愛情をかけて飼っている人はみな
カメにも強い感情があることを知っています
カメでさえ!愛情があるんです
ましてや人は愛情を忘れてはいけませんね
こんにちは
越谷のツボ職人 北村です
今日は 人は愛情を受けていないと生きていけない について
マザーテレサの言葉で
愛情の反対は無関心 というのがありました
マザーがどんな人だったかはともかく
インパクトのある言葉です
これはつらい思いを経験した人にしかわからないものでしょう
いまでもいじめで無視されるというのはあると思いますが
無関心、無視されるって
本当に絶望的な感覚になります
昔、家族がいなくて知り合いのところを転々としている友人がいました
彼から、一度食べるものがなくて数日食べてなくて
死ぬかと思ったら先輩が食べ物を持ってきてくれた
という話を聞いて
ぬくぬくと生きていた自分は衝撃を受けました
その時初めて辛い環境で生きる人を見たのですが
彼と一緒にいる中でいろんなことを学んだ気がします
そのとき小学から中学に上がるくらいです
それでも健気に生きる彼に「生きる」ことを教わりました
単純に楽しかっただけですが
自分が大したことできないと思っても
人に気持ちを送ることはできます
大したことじゃないと思っても
それで救われる人もいるはずです
そうじゃなかったとしても何も損はしない
一方苦しいときにちょっと手を差し伸べてくれた人は
忘れられません
調子いいときによってくる人より
駄目なときにかけてくれる一言は心に響きます
だから自分に余裕があれば愛情を送れるようになりたいですね
これは損得ではない
物を送られても嬉しいが
気持ちを送られるのも嬉しいです
カネを使わないのなら気を使え!ってありましたね
金言です(笑)
愛情はタダです
照れくさいですが
まあいい大人になったら金も愛情も持ってろよ、と自分に思います
がんばりますね
いずれにしても
思いを詰め込んだストレスにだけはご注意を
それが一番つらいのです
詳しくはげんきくんまで