人ってどこかで
自分は悪くない、仕方なかったんだ と思いたい
それはもう本質的にあると思います
なぜならそれは自分のメンタルを守るための本能でしょう
仕方なかったのなら仕方ないですから
でもそれはダラダラしたいからそうする
というのと同じで
楽をしたいのは当然ですが
それを続けていくと大変なことになります
私は決断すべきところでせず
失敗したことがあります
それは高校受験の頃
その時の成績ではちょっと上のところを狙うのか
それとも無難に確実なところに行くのか
二択の状態になったのです
それまでやってきたこともあり
上のところにチャレンジしてもよかったのですが
先生や親とも話し合い
結局「無難」を選んだのですね
その時決めてはみたものの決して肚は決まっておらず
自分の中では「周りがそう言うから」という
納得の方法をとってしまったのです
要は上に挑戦することをやめ無難をとった
しかもその決断は自分でしていない
という最悪の感情でいた訳です
そんなですから合格しても達成感はなく
入学後もやる気が出なかったのです
結局その後も同じようなあやふや決断が続き
なかなか心の底から自分の道を決めたという感覚がないまま
日々を過ごしてしまった
挑戦することもせず
しかもそれを他人のせいにしてしまい
結果やる気を失うという
自分でも昔に戻って当時の自分にちょい説教カマしたいくらいです
人には周りの期待に答えたいという感情があります
それが故に自分の思いではないところに向かってしまう
本当は右に行きたいのに
皆が期待する左を選んでしまう
子供の頃からそういう教育を受けていると
それが当然のこととなり
自分のやりたいことなんてなんなのか分からなくなる
でも結局自分の人生は自分でやり遂げるしかありません
他人が自分の代わりに自分をやってはくれないのです
もやもやをもったまま生きていくのは辛いのです
私もそれはよくわかっています
こんにちは
越谷のツボ職人 北村です
今日は 納得できないことをやるべきではない理由 について
子供の頃からなんの後悔もなく生きてきた
なんて人はごく一部、いやほとんどいないでしょう
大抵の方はいろんな思いを抱えているはずです
いずれにしても言えるのは
100%でチャレンジしていれば結果がどうあれさほど後悔はしない
しかし納得行っていなければ後悔が残るということ
そしてそれが大きくなると強い恨みの感情になる
それは自分に向く場合もあるし他人に向かう場合もあります
いずれにしても納得いかない後悔の念は
心にいつまでも居座り続け残ってしまうのです
こうなると当時の私のようにひねくれてやさぐれます
もう何故そうなっているのか自分でもわからないくらい
だからやはり私はやりたいことはやるべきだし
進みたい方向に行くべきだと思う
たとえそれが割の合わない道だとしても
深い後悔が残るよりはいいですよね
私も何度も何度も失敗を繰り返しても
またさらに同じような失敗をしてきました
でもちょっとずつ分かってきたこともあります
それはワガママとやせ我慢が足りない、ということ
多くの人はいい人過ぎでもっとわがままを言うべきだし
また多くの人はもっとやせ我慢をすべきです
ワガママはアクセルだし
やせ我慢はブレーキです
どっちかが出すぎても危険です
これもバランスですね
問題が起きても涼しい顔をして
しかし言うべきときにはズバッと言う
誰もがこういう人になりたいはず
私もです
結局自分の人生を決めるのは自分です
他人は単なる傍観者です
自分の納得最優先でいきましょう
くわしくはげんきくんまで