日々の生活の中で私が大事にしている考え方があります
これは失敗につぐ失敗の中でわかったこと
つまりこれをやると失敗する、ということです
私はそう考えています
これは根本的な本質の問題ですのでそうではない場合もあります
しかし長期的にはよくないな、ということです
1つ目は「比較しない」ということ
人は無意識に物心ついたときから比較します
さらに比較し、比較されます
この世は序列で出来ていると言ってもいい
しかし目的が「幸せ」であるのなら
比較は結局、不幸しか生みません
なぜなら2対のものなら善と悪に
多くのものなら1位と下位に別れます
そうすると敗者は不幸になってしまいますね
人の脳はそう認識するように出来ています
下位のものはダメなものになってしまう
そうすると1位になれない人はダメな人になる
そんな自分が嫌いになってしまいます
自己嫌悪です
世の中の構造上、世間一般が比較する社会であることは否定できない
でもだからといって自分も比較思考になる必要はないですね
自分は自分の価値観で生きていけばいいのです
つまり比較とは誰かが作った価値観をなぞるようなこと
他人を主軸においた考え方なのです
他人の考えたランキングなど気にせずに
自分基準で自分の道に集中すればいいのです
そうすればあるのはただ「自分が好きなもの」と
「自分がどれだけ成長できたか」のみ
そこに他人軸が入り込む必要はないですね
自分だけの基準で生きる
そうすれば無駄な比較は必要ありません
他人を非難することもされることも
気分を嫌いになることもありません
自分もまあまあ頑張っているな、のみでいい
もしくはもっと頑張ろうですね
この2つでいいと思います
他人のことはその本人に任せましょう
その人がすべきことですから
こんにちは
越谷のツボ職人 北村です
今日は 私が大事にしている2つのこと について
もう一つは
「自分の常識を他人に強要しない」ということ
世間でよく聞きます
あいつ、普通あんなことしないよな!
信じられないな!っていう言葉
ここでの問題は「普通」ですね
普通って何、という問題です
日本人はみなが一つの考えで生きがちです
何かが流行るとそれ一色になりやすい
それはファッションに限らず
勉強も受験も就職も結婚も出産も家購入も定年も
全てにおいて「正解」みたいなものが
なんとなくありますね
私はこういう正解がいらない、と言いたいのではなく
それを他人に強要しない、と言いたいのです
そもそも腹が立つ原因とは
自分が持っている常識(こう振る舞うべき)というものに
相手が外れているということから来ます
こういうときは普通こうするでしょ、とか
こうきたらこうでしょ、とか
こんな事するなんて信じられない、とか
これって
車の助手席に乗って事細かく運転手に指示を出し
自分の思い通りにならないと言ってキれている人と同じです
自分の常識から外れることを許さない
こんなだと身が持ちませんね
それを受け入れた内輪のみでやるのならいいですが
世間一般でやると
相手もそうだが自分が先にやられます
自分がぼろぼろになるのです
私は常に人の体を見ているのでその事をよく知っています
だからそれはやらない
相手の文化、常識、思考を受け入れるということです
いい意味での諦めです
相手には相手の文化があるから変に期待しないということですね
そうすることでイライラがなくなりました
自分一人で世直しなんて出来ませんから
する必要もありません
そもそも自分の考えがそんな良いとも言えませんね
もっといい考えもあるはずです
これが私が大事にしている2つの考え方です
比較しない、と
自分の常識を他人に強要しない
いかがでしょうか
くわしくはげんきくんまで