子供の頃って純粋ですし正義感強い
私もそうでした
大人が明らかな職業差別するのを聞いて
なんでそんな事を言うのかと思い
そのことを聞いてみると
ちょっとだけ思い直してくれましたが
それでも本質的なものは変わらなかったです
そうです
あんな職業の子供とは遊ばないように
と言われていたのです
このことはショックでしたし納得いかなかったし
むしろ自分の尊厳がひどく傷つけられたような気がした
なぜ人を見下すようなことを言うのか
その人達はなにか悪いことでもしたのか
いや、してません
むしろ頑張っていることを知ってました
問題は言われる方でなく言う方にある
そういうことは言ってはいけない
と、子供の頃思ったのです
なにも正義感を振りかざし
差別はイカンとかいじめはダメとか
単にそんなことを言いたいわけではありません
そういう考え方は人の心の闇として
人類がいる以上はあったことでしょうし
今後もあり続けるでしょう
でもだからとてあって良いものとも違うし
理想論で言えばもちろんない方が良いですよね
こんにちは
越谷のツボ職人 北村です
立場が上であることをいいことに
マウントを取ってくる人
全く気づかずにひたすら人を傷つけてくる人
人をランク付けしてバカにする人
そういう人は必ずいます
ここではその事がいいとか悪いとかではなく
どこに問題があるのか、という面から考えてみます
その前に最近の日本で事あるごとに出てくる
自己責任論という言葉
それってあなたの努力が足りなかったせいですよね
という意味で使われます
その考えで行くとどんな目に合おうと
自分の責任なんだからすべて自分でなんとかしろ
という身も蓋もない結論になります
しかしそれはもう文明社会の考え方ではないですね
そうでなければ太古の昔の弱肉強食の時代にもどってしまう
あまりにも「やさしさ」が欠如してる
その言葉を出す人は多分自分にもやさしく出来ませんよね
そうでないと発言の論理が破綻してしまいますから
人を見下す人には心のなかに強い「劣等感」があります
一見、エリートに見える人でも
一歩間違えば引きずり落とされる
失敗したらみんなに見捨てられる
成功し続けるしか道はない
のような強迫観念があり
それが劣等感に繋がります
価値を生み出してこそ自分の存在意義はある
そうでなければ生きている意味はない
なんて考えているとしたら
それはあまりにも辛いです
だって考えてみれば
生きているだけで価値があるとか
出来なくてもみんなで頑張ろうとか
今を楽しく生きている人であれば
人を馬鹿にすることなどないです
人を励ますことこそあれ
見下すなんて出来ませんよ
そう考えると
見下している人は追い詰められている人ですね
外からはそんなふうに見えなくても
幸せそうに生きているようでも
深層では焦りがいっぱいです
一歩間違えばとんでもないことになる
と思っています
これは単純に何かで解決できる問題ではなく
日本人の気質とか伝統とか歴史まで
関わってくる問題です
何かと戦う、というものとも違う
あいつに仕返ししてやる!なんてものとも違いますね
だからもし見下されている人がいたら
見下してくる人をかわいそうだと思ってください
その人も苦しんでいます
苦しいから人を馬鹿にするのです
それが解決法とは言えませんが
そう思うしかないです
戦ってどうなるものでもないですし
その場を離れるしかない
そしてそんなことは忘れて
自分のやるべきことを見つめましょう
そのほうが幸せになれます
自分のやることに忙しければ
余計なことなど考えませんし
充実感も多いはず
余計なものも目に入りません
間違いなく言えることは
明日もまた朝日が昇る〜
ということだけですね(笑)
それでは