私はどうもハマると徹底的に追求するタチでして、、
そういう人にありがちな
もう他のものが目にはいらない状態になります(涙)
一日中そのことを考え
頭の中でイメージトレーニングをして
本当に夢中になるのですね
それは一見いいようですが
多分周りの人は迷惑し呆れ、そして諦めているはず(笑)
しかしそれを続けていると
段々と新たなイメージが降ってくるようになり
次第に個性と言えるようなものが発生します
ここまで来るのにはだいぶ時間はかかりますが、、
そこで築かれた個性みたいなものは
他人がいかに感じようとも
その人にとっては貴重で大事なもの
他人に有益であろうとなかろうと
お金になろうとなかろうと
価値のあるものですね
そういうものがあるなら大事にしてほしいと思います
こんにちは
越谷のつぼ職人 北村です
今の日本では
ほぼ全員が学校へ行き色々なことを学びます
学ぶことは素晴らしいこと
学ぶことができる環境に感謝ですね
しかし
それが役に立つかはまた話は別です
今までの日本は
基礎学習を最重要視し
それの積み重ねで学歴を形成し
それを肩書として
全くそれまで学んだものとは違う仕事につき
激務をこなしていきます
しかし
学んでおきたかったことって
そういうことではなかったはずですよね
人とトラブったときにいかに振る舞うか
男女トラブルはいかに解決すべきか
眼の前で人が倒れていたらどうするか
詐欺師をどうやって見破るか
きりがないのでやめますが無限にあります
本当に学んでおきたかった人としての振る舞い
そういうものは正直全く教われず
すべてが出たとこ勝負
行き当たりばったり
事が起きてから右往左往
そういう人が多いと思います
私が鍼灸学校に通ったときのことです
普通技術系の学校って
技術中心で実技中心に進むのかと思いますね
しかし内情は
座学、つまりここでは解剖学、生理学などの基礎医学など
本で学ぶものがほぼ9割と言ってもいい状況でした
技術を教わりたかった私は絶望しとても悲しかったです
しかし
冷静に周りを見渡すと
そもそも教えている先生たちが
ほとんど現場、臨床をやっていない先生だったのです
そりゃそうですよね
教壇に立つ先生と
現場で施術をする施術家は違います
ここで仮に施術家が教壇にたったとしても
それぞれの先生で考え方も違うし
方向性、主義、信条もちがうし
そもそもレベルも全く違うので
あまりにも学びは運に左右されてしまいます
結局のところ
本当に本人にとって大事なこととは
その人がそれまで生きてきた中で
運に左右されながらも
学んできたこと経験したこと
考えたこと、挫折し立ち直ってきたこと
などをその個人が咀嚼し再構築し
長い時間をかけて少しずつ積み上げられるもの
でしかないのですね
だから大事なことを学びたいとか
教えてもらいたいとかは
そもそも考えとしておかしいのです
学べることはどうでもいいことであって
物事の本質は学べない
なぜなら物事の本質とはその人が作り上げるものだから
環境も経験も能力も全く違う人が
たとえ同じことを学んだとしても
結果として全く違うものが生み出されます
それは当然のことであり
それだからこそこの世は面白いと言えますね
だから自分の考えは価値あるオリジナルのものとして
自信を持つべきです
他の誰も決して生み出せないものですから
だからそういう人と話すことってとても楽しい
自分にない発想を教えてくれますから
その人にとって大事なことは誰も教えられません
自分で作り出していけばいいんです
今日もまた一歩、進んでいきましょう
それでは〜